人類初の原子爆弾が広島市に投下されたのは73年前の8月6日月曜日午前8時15分であった。
我々、23期生は、8月5日日曜日に、ここ本川土手にに集合して、何事もなく建物疎開作業に従事して、作業終了後、突然、東練兵場の芋畑の草取り作業に行く様にとの命令で、翌8月6日月曜日に、爆心地から2.5kmの東練兵場東端の現在のガーデンパレスホテル付近に集合して被爆したのであった。塚本の当時の記録によると、8月4日から1年生が最初に建物疎開、2年生は登校という交代制になっている。これが偶然というにはあまりにも残酷な運命に見舞われることになったのである。今年は8月6日が月曜日である。
次に、お詫びをしなければいけないのは昨年まで第72回・・と題名を書いていたがこれはあきらかに被爆年からの経過年数を示すもので慰霊祭の開催数をあらわすものではないのでことしからは省略します。
また、今回が初めてと思うが冒頭の山本定男氏の追悼の意味を込めた体験記のお話があまりにお上手だったので思わず拍手されたのだとおもうが、追悼の辞は亡き人に捧げるものなので、拍手は遠慮すべきだったのではと違和感をもった。塚本だけかもしれないが。
(写真 新出、文・録音 塚本)
懐かしい名を見つけて・・・・・・